メリットはデメリットに成り得るし、その逆も可。

例えば『音』はしばしば悩ましい。
集合住宅なら住戸間の音は問題だろう。
諸性能を明快にするマンションでもそうだし、
木造アパートなら回避は難しいだろうか。

音を防いだり遮断するのは技術が必要。
音楽用の防音室を本気で作ると、仕様は非常に
高価なものになる。音は僅かな隙間からも漏れ
出てしまうし、壁床天井の重さにも影響される。
軽い木造や軽量鉄骨は不利になるので、鉛板を
貼り重量を増す処置を施しもする。
何より、防音と遮音はまた違う性能であり、
性能達成には理解が欠かせないものの、数値は
Logと言い対数評価されるものなので、体感と
理解が結びつくような、つかない様な。


音は距離に反比例し、空気に拠っても減衰する。
家の中ではどう響くだろうか?

一般に『人の気配』は音の事だと思う。
寝ていても寝息なのか、何かしらは気配があるし、
歩く音、ものを置く音など様々、人は居るだけで
何かしら個性的に音を発している。
足音は、より敏感な犬猫は聞き分けるだろう。
帰宅時のドアの開閉音、鍵を置く音で家族なら、
誰が帰ってきたのか分かるかもしれない。


問題は、そういう音が快適か不快なのかだろう。
それが住宅なら、家族間の関係や距離感こそが、
音ではなく、関係そのものが問題になる。

昔の北海道の家のように、暖房のある居間に
各部屋が繋がる場合は必ず居間を経由するので、
家族は必ず顔を合わせる事になる。
断熱や暖房の理解の進んでいる現在は、玄関の
ホールを介して繋がる形式が一般的だろう。
すると家族と顔を合わさずに出入りが出来る。
戸の枚数や距離によっては『気配』は感じ難く、
断絶的な距離感のある関係が出来るだろう。

前者は四六時中顔を合わせるので、思春期の
子供は嫌がるかもしれない。後者なら自由な
出入りが出来るので子は親の目を盗む事が出来る。
逆を言えば、親の目の届かぬ事態が起こり得る。

住宅なら、適度な距離感が欠かせないだろう。
少なくとも、『気配』を感じられる距離感で
住まう工夫は欲しいと自分は感じている。
ただ、家族の関係に拠る事は間違いなく、
距離の必要とする家族はその気配が問題になる。
話し合い調和を見出せる家族は理想に思える。

一緒に住まう者へ配慮せずに振る舞い、迷惑を
掛けない仕様を求められると、実に悩ましい。
トイレにも防音ドアが必要になるかもしれない。
音楽用の防音室並の仕様に施しても絶対ではなく、
何れにしても話し合い調和の必要は欠かせない。

扉一枚で仕切る、これが一般的なプライバシーを
確保する住宅の有り方だろう。音も有る程度は
防いでくれるけれど、不確実な距離感になるので、
自分は出来るだけ距離を作るように考えている。
実距離があれば音は減衰し、気配に転じる。
会話せずとも「居る」事が伝わる安心の距離感を
家の中に適切築けるなら、より望ましいと思う。

気配を消し去っては、気にする誰かに迷惑を
掛けずに済むかもしれないけれど、全く目に
届かない事も起こり得るので、子のある家では
どう考えるのか悩ましい。気付けば夜遊びし、
家に子供が居なかった!友達を連れ込んでいた!
などなど様々な問題が生じ兼ねない。


音の伝搬は欠く事の出来ない居住快適要因に違いない。
どう活かし工夫するかは住まう家族、人次第になる。
実は、計画や実施設計の際に設計者が問われるのは、
この家族の距離感の把握かもしれない。
快適さを生むメリットにも、不快なデメリットにも
成り得る要因が『音』であり、『気配』だろう。

夫婦の寝室が別室である事は珍しくはない。
夫は当然と思っていても、妻は実は別室が、という
展開はしばしば有る。夫が、え゛~!という展開。

話し合える仲の良い御家族なら、音を快適に導く
方法を探す事が出来るのだけれど、不快と感じる
距離感の家族では、大問題に発展し兼ねない。

設計は時間を掛ける。一月で終わる簡単なものは無い。
スムーズに進んでも実施を終えるまでには数ヶ月、
経験的には半年は要する。その間に様々を悩んで頂く。
その検証と想像、判断という経験があればこそ、後に
住まい始めた時の実践に活かす事が出来る。

戸で仕切るだけのプランは、作るのは簡単だし、
設計は悩まない・・・これでイイの?と悩むくらい。
戸一枚で達成出来る程度ではなく、気配も想定して
実距離を確保しつつ、空間で文節しようと計れば、
これは相当に難しい問題で、設計は実質に悩む。
ただ、挑戦には価値があり、達成出来れば、それこそ
そこに住まう家族の価値観を生み出せるかもしれない。

距離感が拒否感と比例する家族の場合は実に悩むなー
そこまで断絶しても良いのだろうか?と。
隣接する部屋の気配も感じずに居られる事に安堵する
距離感の家族は、家に誰が居るのか気にもしない状況、
見知らぬ人が家に居て不思議ない環境を許容してしまう。
子供にも感知しない住まい、それはそれで、そういう
家族像も否定はしないけれど、倫理的には悩むだろう。
より多く徹底的に仕切れば良いだけなので、設計は
楽になるけれど、罪は感じてしまうだろうな。