晩春


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間もなく6月。6月は夏なのだろうか?とすれば今は晩春になるのかな?まだ春だと思いたい心境はあるのだけれど、既に暖かくもあり、春ゼミが既に煩かった。夏の盛りは様々な競争が激しいだろうと、夏と春の間隙を狙って羽化するこの昆虫はとても小さいセミ。地中生活は短くサイクルは早いのかもしれない。暖かくなれば直ぐにという準備をして待つ生き物が春の終わりを告げてしまっていた。

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「アウトプット」は記憶に残すのに有効なのだそうだ。駐車場からの入口で或る方がカメラを構えていた。何をだろうと尋ねると様々を教えて下さった。花は面白いけれど生に興味を覚えずに居るものの、これは覚えたかな?『一人静(ヒトリシズカ)』と言うらしい。あちこちで咲いていたけれど、ここが最も見頃で綺麗だった。なるほど。

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先日は未だ、自分でも野鳥を見つける事が出来たのに、準備していた木々は暖を得て一気に葉を広げてしまう。もう、自分には声しか聞こえなくなっていた。陽気を透かして輝かしい若葉が見上げる空を覆っていた。

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タンポポも満開。場所によっては既に綿毛であった。小さなカメムシらしきが花の中に居た。花粉受粉を担う昆虫なのだろう。WIN+WINの関係が小さな世界で出来上がる。

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何て草花か、わかりません。春先一番に開く水芭蕉のような草葉は雪解けの水で潤えばそれを当てにしてぶくぶくと肥大化して育つ。開いた直ぐは春らしいけれど、かなり不気味な勢いで、終える際の姿も何か大変。綺麗な水芭蕉も子孫を残すのに既に忙しく、見栄えも何も気にせずにあちこちにあった。今時期は乾燥期にあり、少しの暖と少しの水で、盛りの夏には敵わない小さな綺麗な草花が多く、とても好みだ。

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これも、何て花かは知らない。まだ地面は昨年以前の枯葉で覆われたグレーの世界に一輪だけ色付いていて、妙に華やかに見える。

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これがスイセンだったかな・・・色の綺麗な小さな花。ただ、その形態は欄のような独特さで軽やか。蝶が舞う様に地表から微妙に離れている。受粉の相手は羽のある昆虫だろうか?

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これまで何度も訪ねているのに、一度たりとも発見の無かった事がない。今日は魚の群れに出会えた。唯の水溜りなのに魚が居る。ここから少し先にある通年流れのある小川の淀みにはいつも大きな魚が居る。ウグイだろうか。人の足音に敏感なので眺めるより前に隠れてしまう。今日は忍び足で寄り眺められた。その手前のこの水溜りは春の雪解け水の恩恵がまだ残る場所。最初はオタマジャクシかと思ったのだけれど動きは俊敏で人の気配に敏感だった。誰もが通り過ぎてしまう足元の浅瀬で群れでいるこの魚はトゲウオなのかウグイの赤ちゃんなのだろうか。

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じーと待てば散っていった群れがやがて戻ってきて、足元の水溜りで群れている。そこにアメンボが現れ群れの一部が反応して出来た小さな波紋が広がる。この水溜まりは未だ本流に繋がっている。ただ、時期に切離れ干上がる場所だ。居心地は良いのだろうけれど、繋がっている内に十分に育ち、本流の流れに耐えられるだけ大きくなれるのだろうか?中には本流に帰る事が出来ずに往生してしまうものもあるのかもしれない。

セミ然り、この時期は草花含めとても小さな生き物達が創意工夫を持って生の持続を試みていて、それが清々しい。