【光明寺】国道からの眺め。

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車の通りの無いのを見計らっての一枚、国道から境内を正面に眺める。境内は基本的に駐車場なのだけれど、まとまった空間がある。空間は壁や床、天井で囲まれた内側の「空」の間。外部においては、大地や建物に囲まれた「空」の間になるだろうか。設計では特に『境内』を大切に考えていた。

旧お寺における境内には放散的な印象を感じていた。何とか人が自然と集えるような境内、外の空間を創れないか?なかなか難しい問いを考えていた。正面に見えるお寺の建物を小さく見せる事で敷地においては対になる外の空間と呼応するように考える。ただ広いのではなく適当な広さのある感覚、人を疎外しない大きさでフラフラと誘い込まれる様子をイメージしている。

幾つかの秘密はある。写真の右手は交差点があり、直行する道が実は敷地側に十数度の傾きがある。建物は奥へ行くほど広がり、屋根の稜線は奥へ行くほど低くなっている。眺めると自ずと、想像以上のパースが効く、騙し絵の仕組みを隠している。頭というか理性というか、これは微妙な傾きを補正する性質が強い。体感的には僅かな歪みも感じるのだけれど、頭はそれを認めたがらない・・・というところの誤差が騙し絵に繋がる。口頭説明で理解できる内容ではなく、設計において加減を図るのは至難で、何が起きているのか、本当に騙されるのかは、実際に立って確かめて頂く以外にない。


そういう空間の在り様が実は、とても楽しい。


人の視線や注意をスーっと引き込んでみたり、放散はなく求心的に空間を仕立てたり、囲いこみ閉鎖的にするのではなく、まとまった空間をつくりつつも閉じず、適度に淀む場を考え、そこに誘われ集う事に楽しさを感じて頂けるような「境内」の在り方・・・まぁ、とても難しい。エントランスに置かれた彩ある鉢が置かれるだけで心が和らぎもする。意図は出来ている。あとはこれから大切にされて行かれるかどうかも問われる。その成長は楽しみにしたい。