いつもの森の、秋の終わりの季節。

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落葉が敷き詰められた散策路、木洩れ日が点々と小さな場所を強く照り、「場所」があるよと知らせるようなスポットライトになっている。誘われて撮らされてしまうのだけれど、撮れば綺麗な写真に見えなくもないし、当然、気分は良い。実際の場所も気分がいい。

 

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一つ一つの葉を見れば狩りたくなるような綺麗な葉は無い。冬支度の為に水分を止められ役目を終え、緑を失い枯れ色のついた、使い古されボロボロに汚れた葉よ、一年お疲れ様でした。緑を失い濡れ黒く湿る森にあって、色付いた葉は対比的に素晴らしく良く映える。私を高揚させ写真を撮らせるに十分過ぎる。

 

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私の目が確かなら、こういう特異な物体を森の中では沢山見つける事が出来る。何だろう?という類の一枚。元が何だったのか最早わからない。種が枝先に鈴生りだ。それが枝先から別れた小枝に持ち上げられ上向きに生えている。豆ならその大きさから垂れ下がるものの、これは2つ程度の豆状の種子を包んだ袋の様だ。落ちて割れ、中の種が撒かれる仕組みかな?雨を受けても水が切れる様に上を向き、寄せ集まる事で風を防ぐ工夫なのかもしれない。

植物の、こういう弛まの無い努力と工夫、創意を眺めるに秋はとても面白い。春は水分を得て一気に膨れ上がる植物が多く、夏は盛大すぎて細部になかなか目が行かず、秋は色も控えめに様々が整理されて良く観察が出来るのだけれど、勢いではなく次の年へどう生命を繋ごうかの丁寧な仕組みを備えたものが多く感心する季節。 

 

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水源地は面的に潤う場所で、毎年、水場は様々に変化している。春先の水量の多い時に出来、後に水の流れから切離れ唯の水溜りになる場所もある。ここは今年、本流から切離れず僅かながらも清流を得る沼になっていた。夏場から、ここでは魚を見る事が出来たし、足元で観察が出来るので重宝した。眺めると、敷き詰められた落葉の上を魚が泳いでる。とても不思議な光景。魚は最低でも二種類が居ると思われる。横から眺め角ばった印象のあるのはトゲウオだろう。綺麗な流線形で俊敏で流麗に泳ぐのはウグイの子ではないかと思う。今年生まれたのだろうか?

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最後の一枚は川の海老。夜行性の彼らは中島公園の池でも夜に電灯を照らせば簡単にたくさん見つけられるの。昼間にこんなに群れになっているのを見つけたのは初めてだった。水はまだ冷たくはなく、昼寝の最中に邪魔したな。