旅に出る。明日から・・・今日か。タイへ。
そもそもは、昨年竣工したお寺の住職と佛具店の方とであったのだけれど、住職は檀家様に不幸があり急遽取り止めとなった。住職とは長い月日を労を共にした。興味深かったのは、見た事のない建築を求め、近しいと思われる事例を実際に見て感じる必要があると訪ねた関西事例見学の旅だった。建築はそのものだけで存在するのではなく、地域があり、その場で在って初めて存在する。彼は関西にも詳しく、地域性までを含めて案内下さり、そして初めての建築空間を一緒させて頂いた。

設計はクライアントの要望と予算と白敷地図があれば、多くは設計が出来る。けれど、私は先ず敷地を知る事から始める。現実の空間は、建築は場所が特定する事が条件でもあり、場所の持つ可能性以上の要望には応えられない。場所の持つ力を最大限に発揮できるかが設計の要になる。
住宅街にファッショナブル過ぎたりオープン過ぎる住宅を設計しては周辺も巻き込み場を壊すかもしれない。としても、空気を読んで静かにしては個性を潰してしまうかもしれない。リスクはとても大きい故に、そこに在る事で環境に存在を示す建築を考える事はとても大切になる。目立たせたいとは思わないけれど、在る事でランドマークではないにしろ、その場所に喜ばしい変化を与えられるならと思う。
気にしなければ素通り出来るけれど、無視できない具合は一つの案だと思う。

つい、主題と関係の無い事を長々と書いてしまう。

旅行はタイ、バンコクチェンマイを訪ねる。ともすれば観光旅行に成り兼ねないのだけれど、在る観光地は寺院だ。日本の北海道で見るお寺の伝統的な様式を超えた設計に挑んだ身としては、真摯に生死に向き合う空間の様の、一つの到達点を見る機会であり、答え合わせにも近く、非常に楽しみしている。地域、文化、環境や歴史を違えるとどこまで探った歴史があるのか、知る機会はとても楽しみ。見た事のない姿はネットで様々に検索が出来た。アジアの建築は北海道人の私には、京都のような純日本、欧州しか見た事のない私にはもう一つの建築軸を示してくれるのではないかと期待は強い。

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仕事が忙しく、下調べは一夜漬けではある。けれど、懸命に調べた。都市は面白い。建築単位の敷地はともすれば周辺環境を知るには不足する事がある。都市は生い立ちを間違いなく地図で確認する事が出来る。バンコクは巨大な都市なのだけれど、旧市街となる発祥?の地は大きくはない。都市の形成には必ず河川が必要が。運輸の要となる河川、氾濫に巻き込まれない立地、周辺に農耕に適した場所を要して成立するかもしれない。バンコクには大きな河川があり、ここの左右岸に要となる寺院があるのが分かった。今はGoogleアースがあれば足るのだけれど、旅をする時は必ず自分で地図を作る。描く事で初めてスケール感を自分のものにし、空間を把握出来る。とりあえず、歩いては果てしない距離感である事は理解が出来た。さて、どうしよう。

f:id:N-Tanabe:20200201065710j:plainチェンマイも訪ねる。ここも魅力的な風景が見える。河川はある。そして、ほぼ東西南北に沿う四角形は城壁跡らしく、明らかに人工的に区切られた空間が在る。人の創った場所だ。平安京の様に碁盤の目ではないけれど興味深い。旧市街は取り壊しは出来ない地域、隣接して線路が基本的には築かれ、対には新市街が形成され、隣接して住宅街が広がる。アジアは日本を別として、地図ではなかなか判別が出来ない。混沌に見えるのに、ストリートヴューでは綺麗な街並みであったりする。どんな意図で居住空間が築かれ、そこに祈りの場を設けたのだろう?死生観を含め今の自分の日常とは違う世界を見る機会は貴重、唯の観光にしないためにも、挑んでみたい。