フェリー旅

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東北震災の前に2度、東北を旅した。飛行機で行けば「旅行」を楽しむ印象で、フェリーを使い車でなら「旅」であるように思う。ロードムービーは好きだ。フェリーを使えば海を越えられる。車旅は気ままではあるけれど、スケジュールは立ち難い。何処まで行けるのか?が確定出来ない不安があるのも良いのだと思う。

そのフェリー、海越えの機会は港を選ぶ。小樽か苫小牧か?そこはやはり室蘭がイイ。海を目指せば出会う暗闇に浮かぶ巨大な橋は白鳥大橋、これを潜った先には眩い工場群の機械的な灯しが輝く。写真は・・・少し残念ではある。今のカメラかスマホなら高感度に手振れ補正があって撮れただろうに。真冬の旅、寒く凍え揺れる船上からの貴重な一枚は私の記憶。

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二度の旅はたしか、この「びるご」だったと思う。特別ではない定期船は質素で華やかさは無かったけれど、静かに日常から切り離される感覚は堪らない。

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旅程は面白く、金曜日の一日を休み二泊五日の旅となる。二泊は往来のフェリーの中、月曜朝には北海道に戻り通常業務へ。木曜は業務を終えた後に走り、白鳥大橋を渡りフェリー埠頭へと向かう。この橋を出港後には下を潜る。

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旅の当時は、カーナビはあっても信用には耐えず。今ならスマホ一つで済むのだけれど「地図」が欠かせなかった。道路地図の他に目的地周辺の地図を用意する。これは全体工程を記した地図で、自分で製作をしたもの。それがCADであっても、自分で描く事は大切でスケール感を体に覚え込ませる事が出来る。

2回の室蘭発の東北旅は初回に日本海側を、二回目は太平洋側を巡った。何故東北か?仕事では後に宮城は仙台、福島は郡山近辺を仕事で3年あまり通う事にはなったものの、行こうと思わなければ訪ねる理由を探すのが難しい場所であった。函館は案外に青森と近く、建築イベントで何度か訪ねた際は助っ人は札幌からではなく青森からであったのは印象深い。何処に近いのか?地域性は色濃い。

本当はとても近い場所にも関わらず通常は飛行機で海を渡る。東京なら理由を探せても、近いはずの東北は難しい。この二つの旅はとても有意義で、北海道以外の日本の距離感を実感させられた。最初の旅は早朝に青森に着き、市場で朝食の後に新潟は酒田まで行く。果てしない距離に思えたけれど辿り着けたのは体感的に印象深い。

徒然、書けばキリがないのだけれど、使ったフェリーは廃止された。室蘭から東北への航路が出来たのは数年前の事、宮古市へであった。室蘭は崎守にある学生時代から眺めた工場の灯り、消される際はどうにか旅が出来ないかと計画をしていた。実現は出来ず。そのフェリーは宮古から八戸へ航路を換えたものの昨日、休止となった。

苫小牧の方が利便は良いのだけれど、「旅」を考えると天然の入江であり景観を持つ室蘭は出発点として相応しい。そういう旅情は経済活動では加味されないのは実に惜しい。

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フェリー休止の報を読み、見返した過去の旅の写真、これも揺れるフェリーから寒い夜のもの、精緻ではないけれど好きな一枚。まるで『地獄の黙示録』のエンディングシーンのようだ。太平洋へと繋がる噴火湾は闇の世界、その門前で一部が煌々と日常の灯りを灯すが室蘭の海。華やかにではなく常に見送られる風景が嘗てはあった。飾られるのではなく、ただの日常に見送られるだけなのに思い入れ深い光景があった。