キツネ


蛍に出会った昨夜、今宵は対岸の水辺を巡る。こちらは親水公園的な広場や、護岸と河川内の砂地の隙間の水場など、蛍の幼虫が住めそうな場所がある。

実は離れて立つ大きな樹木、遠くから撮ると並んで見える。久しぶりに撮る。



本当は闇の中、ピントを合わせきれず、ボケボケであった。

やはり、人工の場所は生命感に違和感を覚える。数年前の夜の事、中島公園の池でカエルを獲る女性が居た。何故?と訪ねると大学で研究しているとの事、必要なので捕まえていたらしい。で、お聞きすると、そこで居るカエルは外来種なのだそうだ。

写真のここもカエルが大合唱している。少し上流に登れば中島公園とは水系は繋がっている。騒がしい外来種のカエルが、どう入って来たのか経緯は知らないけれど、今はここにまで到達している。あとは、河川沿いに広がって行くのだろうな。

オタマジャクシもたくさんいた。カエルが鳴くのは恋の季節だからに違いない。ひょっとすると、8月か9月には卵があるのだろうか?渇水時期は危うく見えて、天敵も少なくなるので都合が良いのかもしれない。では、居るオタマジャクシは別の種類なのだろうか。

場所を選んで小魚はいた。けれど、沼地のような場所にも関わらずエビは居ない。親水公園的な水場の水は綺麗だけれど生物は限られ藻が茂る。

随分昔に『ビオトープ』に興味を覚えて何冊か本を読んだ。今は幾つか区分があるか、扱う専門によっても用語が異なるかもしれない。日曜7時のテレビ番組、鉄腕ダッシュでは新宿のビル屋上に水場を作っている。ビオトープに違いない。場所を選び、人が手を入れる事で良好な環境にできるのかもしれない。維持構築は大変そうな、不可能そうな、でも甲斐のありそうな。

河川の治水は環境の変化をもたらす。何時もの豊平川の東岸は隙間の多い場所がある。対して西岸は整い隙間が少なく、荒れ地があるばかり。

田舎育ちだからなのか、その環境が自然なのか人口なのかを肌で感じている気がする。特に夜の水辺は色々な生き物が居て好きなので、自分の知っている光景との違いに違和感を覚えるのだろうか。

もちろん、川の両岸は場所によって様々、私が好んで行く範囲での違いになる。



設計で創る空間は肌で感じる事を大切にしている。設計時には最大限の想像力を膨らませて挑む。生物環境の再現をビオトープと言うなら、住環境は人にとってのそれに近いのかもしれない。生まれてから育つ環境は既に建築空間でもある。知った場所に疑問は抱かないのかもしれないけれど、人が住まう環境を創る事へは真摯に取り組みたい。

考えだすとキリはないので、悩みは深まる。暫く帰っていない故郷へ何時帰ろうか。自分の感覚をリセットしたい。

等々思いつつ、結局は蛍を一匹も見つけられず残念に帰宅の道、河川敷の最後の緑地で出会ったのはキツネであった。夏毛?で瘦せ細って見えたけれど、そう見えるだけなのだろうか。都会派のキツネはカップルらしく、人馴れしていて距離は近い。人を見切っているので、その距離感なのだろう。少し離れてから暗闇の芝を眺めていると、座ったり、横たわったり、二匹で絡んで居たり。でも、そこから離れる様子はないので大胆にもそこが寝場所になっているのかもしれない。

蛍探索は空模様を選んでまた挑もう。序にキツネが無事かも気になり眺めに行きそう。