地震

トルコ、シリアで起きた大地震は衝撃的だった。高層のマンションがジェンガ積木が崩れるかのようで強烈、映像の力は強い。その現地のこれまでの風景はネット上のMAP、ストリートヴューで眺める事が出来る。

地震』は日本で設計する者にとって免れない自然現象であり、構造種別を問わず頭を悩ませる課題であり、実際に設計する際は柱の位置、壁の配置やバランスを考える。構造設計を要する規模の設計では様々に議論し計画をする。

これまでの国内大地震の経験は常に基準法に反映され、究極は倒壊を免れずとも避難する猶予を得るまでが計画される。絶対に倒壊しない建築は求め様がなく、構造の崩壊を受け入れても避難の猶予を考える終局時は一級建築士の試験勉強で改めて学んだ。覚悟無ければ出来ない条文に違いない。

軽い木造建築は、その軽量故に地震荷重の入力は小さく、木造故の靭性もあり柔軟ではあるけれど、今は構造用合板で固める事は必須でもあり、1階に窓しかない店舗の様な木造建築は特殊な方法を用いずに今は構造計画出来ない。大きな支障は地盤、液状化の問題もあり、今は地盤調査は必須、応じて杭や地盤改良等必要な方策がとられる。

建築家としては綺麗な建物をと考える。地震を含む構造計画は優先順位には含まず必須条件となる。そこを捻じ曲げ得た華麗さが危うさなのなら、それは間違いだ。



という世界で設計をしている私にとって、初めて訪ねた欧州は衝撃的だった。バブル期のトンデモナイ建築ですら健全で、東北の震災の際に避難施設となった建築が少なくない。



コレはドイツはフランクフルトにある、とある博物館。初めての欧州大陸はフランクフルトから、中央駅からほど近いココに来て驚いた。柱が細い、梁が小さい、全てが華奢。おまけに建築の角を見上げると歪んでいた。

日本でなら超高層ビルでも角を見上げると直線、どれ程高価な建築、名建築でも柱は太く梁はゴツイ。地震の無い、岩盤の上に建つ建築とはこういう事か!と驚かされた。




コルビュジェの『ドミノ』、そのものがあった。

ただ、これはトルコ、シリアの大地震のあった地域の建設中?のもの、ストリートビューで見つけた。トルコの建築は、岩盤で地震のない欧州仕様が使われているのかもしれない。RC造(鉄筋コンクリート造)なら、柱梁で地震荷重を負担するラーメン構造か、壁で支える壁式構造に大別される。

大きな力を柱と梁で支えるラーメン構造は接点で剛接合が求められ、日本でなら写真の規模でも太い鉄筋が隈なくコンクリート躯体内に包まれる。壁で支える構造なら当然、「壁」が各所に適切に配置され力を伝達する。

けれど、この写真では梁は見当たらず、柱は細いので細い鉄筋しか包めない。しかも、壁はない。



建築現場も見つけた。これはマンションらしい。壁らしきは、細い鉄筋なら辛うじてダブル配筋が出来るかもしれない厚さ、柱も同様に細いように見える上に、バルコニーだろう床スラブは付き出している。


高台に築かれている中層マンションの構造の仕組みは同様に見える。壁はブロックで積まれ、化粧されると綺麗な建築が出来上がる様だ。


壁はブロック造、積み上げるようだ。日本でならブロック塀でも鉄筋を通した上に高さの制限がある。積み上げる構造=組積造は揺れに弱く、過去に地震で倒壊した事例は数多い。ログハウスも同様に組積造で制限は強い。レンガやブロックを積み上げた建築は成立せず、より重い石積の倉庫が地盤の良い場所では残るものの、肯定するには鉄骨等で耐震補強をする必要がある。

使われているブロックは日本のものとは違うように見える。切ったり張ったりが容易に出来る加工性の良い軽量なものに違いない。

ブロックの積み上がった状態を眺めると、隅の欠けたブロックは多く、目地がチグハグだ。



高層マンションも同様で、バルコニーは薄いRC床に3段程積み上げて手摺壁としアルミの手摺が取り付いているように見える。構造を眺めると支える柱や梁、壁は乏しいように見える。


外装の化粧を施す際に足場が作られるらしい。


ブロックの壁は漆喰なのか塗壁で覆われ塗装され、高価な仕様ではタイルを貼り、仕上げられるようだ。


町外れで見かけた建築、低層部は街角に壁はなく隣地にL字に壁があるのみ、基本となるRC部分は最小限で壁はブロックが積まれている。



今回の地震では倒壊に巻き込まれた方々に多くの死傷者があったと見受けられる。それが津波災害もあった東北の震災を超える程となっている。凄絶な光景は今、遠くではあるけれど確実に現実に在る。

載せた写真はこれまでにあった光景、ネットで得たものに過ぎない。地震被害とは関係なく、現地の建築事情を知るために集めたもの。1,2階の低層住宅も木が無いので基本は同様にRC造で壁はブロック積のようだ。地震で横に揺れれば崩れ、縦に揺れれば一気に崩壊するに違いない。倒壊を免れたとしても継続使用に耐えるのか不安を覚える。

本来は生命を守るシェルターとなるべき建築が人命を損なう現場となっている現実、映像は生々しく目を背ける事が出来ず、この一週間は心穏やかでいられない。



■街並み見聞。
期せずして眺めた見知らぬ街、印象に残る。地震のニュースで出ていた地名を打ち込めばMAPが現地に連れて行ってくれる。ストリードビューもあり、つい旅してしまう。

①遠景で俯瞰する。
「都市形成は河川が要」なのだけれど、川は少し離れた場所にある。川は幅2kmを超える部分もある大きな川で、それは「ユーフラテス川」だった。4大文明を育んだ河川だ。フェリーもある川。ダム湖のように谷間に入り組んだ形状は、流れの極めて遅い、湖か海のような川なのだと思われる。トルコは黒海と地中海に挟まれた地、その黒海と地中海川には山脈があるようで、ユーフラテス川はペルシャ湾へ続くようだ。平坦な高地を紆余して今に至るらしく、流れが変わり取り残され湖となった場所も多いようだ。流れが遅いので濁っているかと思えば、荒涼とした風景の中で青々とした水盤があった。

町中に河川はない見知らぬ街、近隣に小さな飛行場があり、次いで見つけたのは大きな鉄路、貨物列車が数多く止まっていた。鉄道輸送の拠点となる町なのかもしれない。鉄道はユーフラテスに橋を架けて越えているものの、狭まる場所で橋を架ける幹線道路も特徴的だ。町の中心を走り南北に街並みを別けている。

②近景で町を俯瞰する。
鉄道と幹線道路に平行して東西に延びる街並みがあった。幹線道路の南側に並走する大通があり、隣接して広場か公園、大きな施設建築の敷地があった。駅から東側へは込み入った地域があり、そこが繁華街に見える。その先に大きな土地をもつ公共施設があり、線路、幹線道路の南側にも大きな施設があるようだ。

③近寄ってストリートヴューで街並みを目線で眺める。
③A:繁華街を探す。
人の集う場所を探すのは習性、その地域の個性が現れると思う。旅するなら拠点となる地域で、そこに行けば飯にありつける。マックやピザ屋はなさそうだけれど、ケバブ店多し。探したのは市場、マーケット。郊外には巨大なショッピングセンターを見つけたけれど、魅力的ではない。街中の市場は道路に布が掛けられ日除けされ、幾つかのモスクを結び縦横に展開する場所を見つけた。かなり大きな範囲で、夜は散策するだろうなー危険がなければ。かなり魅力的だ。

市場の文化は北海道では既に失われていて、20年前なら未だ楽しめたのに、今は囲われた綺麗なビルになってしまっている気がする。特に札幌では散策の楽しい場所を探すのが難しく、中心市街地なら歩き疲れてしまう。

③B:観光地を探す。
ネットで検索するとあれこれ出て来る便利さに頼る。博物館を幾つか見つけたのでプロットする。

③C:ホテルを探してみた。
試しに旅をするならと、ホテルを探してみた。幹線道路沿いには大きな敷地に建つ大きなホテルがあった。けれど、どうせなら繁華街にあるこじんまりとしたホテルがいいな。

③D:レストランを探す。
屋台の方が好みではあるものの、探すと面白い。郊外に高価そうなレストランがあったりした。一人旅だと、飲んで帰られる範囲に探したいと思えば屋台も探す。ケバブも様座のよう。ただ、郊外に見つけたレストランは魅力的に見えた。

③E:住宅街を散策する。
どのような生活があるのか?実はこれが最も知りたい風景かもしれない。繁華街と対をなす知りたい風景だ。街を取り巻く離れには中高層のマンションが新築され、道路も広い新市街的な街並みが作られ、更には高台にも広がっていた。先に載せた写真はそこからのもの。現在進行形で町は広がっているらしい。

対して低層住宅が広がるのは線路の北側の地域で、コンクリートブロックではなくレンガ積の建築も多く、そこそこ古くからあるのかもしれない。

④総評
街は低地の盆地か谷間に形成され、安定した大地だろう場所に鉄道と幹線道路がも作られている。ユーフラテス川からは少し離れているので新しい町なのかもしれない。鉄路は東西に延び、南北の丘陵に住宅街が広がる。北はやや古く隣接し、南側は新規に開発された地域に見える。混み入った繁華街は古くからあった町に違いなく、鉄路は古くから使われた道なのではないかと思う。

40万人程が住む古都とされる。緑が多いとは思われない地域、荒涼として見えるものの、沿線の平地は畑が広がり、丘陵部分は宅地となり、どうして曲がりくねった街路なのか?形成の謂れを知りたくなる構成を含め、数日は夜な夜な探索をしてみた。

昨年は噴火と津波災害のあったトンガを、やはり眺めた事がある。ネットで眺め調べる程度で知り得る知識は乏しいのだけれど。どのような生活の場としてあるのか?垣間見るには十分に臨場感はあり、少なくとも眺めると、自分ならどう生活するのだろうと想像をしてしまう。全く魅力の無い場所を探すのも難しく、時々、何かを機会にして探訪してしまう。