近所を散歩する。

壊れた?温度計が35℃を指したまま下がらないのが常だったので、それが30℃だと涼を覚えてしまい、汗かきながら自転車で散歩に出た休日は豊平川から始めた。


一つ言葉を覚えたので使う。この堰は床止めであり、高低差があるので『落差工』と呼ぶ。よく見ると角度は30度だろうか。遡上に支障ない角度?どのような開発経緯があったのか興味深い。河川中央には魚道がある。落差工はその前後を含め表層を川の水が洗うように浅く流れる。数日前の雨でやや泥だらけであった。

ここには定着する住人が居て、写真中央やや右のカモメが主だと思う。夜はここをねぐらか食事場にするサギが1,2羽いる。今日はカラスも居た。カラスは賢いな。ただ彼等は昼間しか見えないはず。カモメは夜に街明かりで漁をしている。そのカモメ、私が近寄るとちょっとずつ遠ざかる。

さて、先日は夜の遡上の光景を観察した。昼間は登るのだろうか?気になって眺めたのだけれど一匹も見かけなかった。夜行性のカニやエビが夜に登るのは理解できるけれど、夜は寝ている魚も昼はここに近寄らないらしい。



堰上から眺めると、この具合。薄い水面は空からは丸見えだ。遡上を初めてウロウロすれば一気に鳥たちの餌になってしまう。



堰の中央にある魚道は激しく流れる。サケやマスの大型魚なら一気に登り切るのだろう。どこかに居ないか?と暫く眺めてみたけれど魚影は見えず。この中にも強弱はある様子なので、小魚も登れるのかもしれない。遊泳能力の低そうなハゼやエビ類が落差工を使うのかもしれない。



豊平川で30分は過ごしただろうか、その後に昼間の中島公園を通る。何時もは人混みを避けて通りはしないのだけれど、ふと思い立ち立ち寄ったのが『八窓庵』。私のブログでは定期的に出て来る小堀遠州の茶室だ。何故か札幌は中島公園にある。

やはり、惚れ惚れするスケール感の建築。極めて小さく、それはお菓子の家かな?という程に可愛らしい。にも関わらず、屋根の稜線は中島公園の中でも仕切られた和風庭園の小さな森のスケールの中でも凛としていて、醸す陰影や軒裏の仕組みの精緻さが印象深い。



低くなった夕方の陽射しが木漏れ日は、藁スサを練り込んだ土壁に映える。

建築の外壁がここまで精緻に陽の生み出した陰影を映える事が出来る。なんて表情豊かな事か。この移ろいを楽しむだけで長居してしまう。

一見、唯の暗い壁に見えるのに退屈しない事に気付かれるのではと思う。無表情な工業製品とは比較にならない。あれ?と眺めても職人の手の跡を観察させもしない。只管、味わい深く「美しい」仕上を実感する。藁スサが土とは異なる反射加減で明暗を生むとは思わなかった。一切の隙のない精緻な仕上は表情だけを見せる背景となり、まるで光のインスタレーション作品かと思わされる。

同じ映像を、違う質の背景に投影し表現を問う芸術作品が有り得るかもしれない。白く密なスクリーンと、工業製品のサイディングと、このような隙のない精緻な塗壁とを並べ、唯の木漏れ日を投影すれば、目で見る象はまるで違ってしまうだろうな。


賑わう中島公園を他所に、ここは静かな場所。居合わせた方はのはカメラを持った外国人の御夫婦だった。余計とは思いつつ折角なので躙り口を案内させて頂いた。600×600程の木戸がエントランスだ!と知らせると、スモールな人が使うのか?と不思議そうだった。身をよじって小さくして入ると、この小さな空間が大きく見えるのだ!と、何とか片言英語・・・殆どは身振り手振りではあるけれど何とか伝えると、ハッとして理解された様子で感激されていた・・・様な気がする。



今まで気付かなかった、八窓庵の裏手の門。庇下端はH=1800、中央の梁下端はH=1700程度だと思う。この門を潜るには身を屈めなければならない。その大きさが素晴らしく良い。

注意力なく歩けば頭をぶつける門とは?潜る際に身体を実感させられる。その様に身体を実感させる仕組みがあれば、大きな中島公園の中で塀に囲まれただけの日本庭園風、閉塞感しか生まない。それがこの門のような身体を感じさせる仕組みがあると、八窓庵は小さな家ではなくスケール感の豊かさを感じさせてくれる。



二年前の秋に訪ねた時に、この竹垣を製作していた職人を見掛けた。出来たばかりの垣根は竹の青さが際立ち周囲から浮いて見えたけれど、竹風の樹脂製既製品なら今もその印象のままなのだろうけれど、二年も風雪に耐えた今は風合いを得て実に良く馴染んでいる。お話した際にお聞きした事を確認しておこうと思い立った事も、ここに足を運んだ理由の一つだったと思う。