『 光:② 』・・・スケッチを。

アアルトが不思議な空間を宿すのは『光』故の事、これはその場所の持つ特性故にだ。南側に大きな窓を用いても低い陽は十分な強い明るさを持たない地域、『空の明るさ』を最大限に活用する術を見出さなければ空間を創れない。その難しい環境を逆手に出来た稀な建築家の挑戦は、例えば北海道の私のような建築家をも感化し挑ませるだけ十分に魅力的だった。

その「光」を記録し、記憶し、自身の根拠にすべく挑んだのは拙いスケッチ。カメラが信用ならない以上は『手』で覚える。その描いた線の痕跡は今も新鮮なまま確かであった。

と言う事で何枚かを案内する。


■セイナヨキの教会
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フィンランドは中部にあるセイナヨキの街にある聖堂、訪ねたのは確か日曜日で礼拝の最中だった。静かに入り後ろの方に座り、しばし眺めて過ごした後に誰も居なくなった静かな夕暮れ時にスケッチをした。

どこから、どのように光が差し込み、光を取り込み、何を照らし、何が明るく、何を見せるのか?線の数ほど丁寧に観察し、想像し、出来得る限り最大限を写し取る。


■ラハティの教会
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訪ねると牧師さんだろうか、「良いよ、ご自由に」と言う具合だった。「ただ、パイプオルガンを使うからね!」と。彼の奏でるパイプの音色を楽しみながら描いたのが、このスケッチだ。

そもそも窓の位置は方位とは関係が乏しく、空の明るさ頼みであるにも関わらず、スケッチするには十分な明るさがあった。手元が暗ければ描く事もできない。

『光』の扱いの妙を学び、空間の変化や粗密、大きさの変化の齎す効果など実践事例で学ぶ事が出来る貴重な機会だった。何をどうしても中心、中央の祭壇に目も心も奪われる。その核心たる部分が静かに明るく求心性を帯び、けれど端の周囲まで暗がりとなる「隈」はなく、清潔感を夕暮れ時でも自然光のみで失わない凄さを体感する。


■ヴォクセンニスカの教会
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ここは高窓に入れ子をつかった自然光採光の教会で、その室内の光環境は特に素晴らしい建築だった。避暑地?らしいフィンランドはイマトラにある。

ここに来るのは一苦労だった。確か夜行列車を使った気がする。着いたイマトラの駅は暇な駅で、下りた先には何もなく、辛うじて開いていた何かしらの案内所で宿を探してその夜の寝場所を確保した。そこまで、歩いた。

泊った宿はユースホステルか何かで寒かったな。英語の通じない老夫婦が営まれいて、結局は孫娘?小学生の女子に様々を話した記憶がある。伝わっているのかな?今日は泊まれるのかな?と不安な夜を過ごしたと思う。たしか夕飯もお世話になった。御礼ではないけれど紙切れで「鶴」を折り、その女の子にプレゼントをした時に笑顔だったのも覚えている。

その翌朝に湖畔にある宿を発ち、この教会で長い間、陽の移ろう変化を眺め過ごし、その夜にイマトラの駅まで歩き、クシェットに納まりヘルシンキへ向かったと記憶している。


自分で設計する機会を得ては「光」に悩み、その可能性を検証すべく模型を作り、模型で再現出来ない空間は不可能、再現可能なら実現の可能性は大きく、より多く観察して具現に向け監理まで必死に取り組み今に至る。

人工照明をスイッチ入れて灯してOKなら楽なんだけれど、それでは許されない。出来ている現実を知る以上は、それ以上を求めたい。そういう設計の想いを確かにする上でも北欧で出会った建築機会は特別だった。