調査報告書

敷地を見に行ったり、建築を視察した際は報告書を製作する・・・しない時もある。住宅規模の場合は資料の保管のみではあるけれど、要望があれば製作する。設計においては視察により何を得るのか?が肝心だ。実際に自分の目で見て確かめることが大切で、不足は後に写真やスケッチ、メモで確認が出来る。その資料は設計初期に得て、後々まで何度も見返すので、まるで全て頭に入ってしまう程に使われる。


住宅事例での報告書事例。前にも載せた気がする。遠方の場合は整理しておく事が多い。敷地調査事例なのだけれど、敷地を四方から眺め、敷地から四方を眺める。実際には更に多くの調査写真があり、設計が進む都度に確認をする。


先日はとある施設の視察に行く。詳細は載せられないので小さく・・・全部で16枚の報告書となった。「業務」としては実績を残せば良いだけとも言えるのだけれど、ここで得た情報は極めて貴重、後に活かして応える事が出来たなら、より実践で有用、喜んで頂ける何かが記されている。どこまで応えられるか?はコストや条件の調整が必要になるとしても、真摯に設計に取り組むにも知っておかなければならない、と思う。

この時点で不安や不足があるなら相談をしなければならないし、見れば様々を知り質疑事項も多くなる。中にはお聞きしていた敷地と実際が違うか又は不明瞭と言う事もある。そこから様々に調査し、ある設計では図書館で敷地の背景を古地図で検証したりした事もある。

ここでは聞いていた要望が全てでは無く、実際に利用されている方の言葉を直接に聞く事が出来たので貴重だった。手間であり面倒であり、多くの場合は設計料にそこまでは・・・と言う事の方が多いのだけれど、それでも取り組む価値がある。

踏み込んで設計に挑むなら、形式的な要望を越えて応えられる可能性がある。後に、「本当は・・・」などと聞きたくはない。訪ねた時に住まわれる、使われる人が自分で設計したかのように語ってくれるくらいなら、望ましい。


私の設計は、全てを決め形に嵌める事はしないな。必ず余地を残すようにしている。出来るだけ発展の可能性を残す事を大切にしている。そもそも竣工時が全てでは無く、その後こそが肝心でもある。竣工写真よりも、例えば10年後の写真の方が綺麗で楽しそうな方が望ましく、何より良い。そう願って設計をする。


先日は築17年を迎える住宅を訪ねた。当然のように迎えて下さり、空間には何時もの健やかな日常があった。何よりです。そう在るために。