楽しさとは何なのだろう?

タモリ倶楽部の電車回で良く見かけたダーリンハリーの吉川さん、生粋の鉄オタらしい。深夜に一つの路線を選んで乗る番組が放送されている。同行はカメラを持った人と本人の二人のみ。予定も調和もなく、何事も起こらずにただ鉄道に乗り、当人の楽しむ様が放送される。私は鉄道オタクではないので不明な事もあるのだけれど、如何にも深夜番組でその王道を行く内容は魅力的だ。吉川さんは芸人、そこは楽しさを良く伝えてくれるし、最近は欠かさずに観てしまっている。

 
何の変哲の無い事に意味を見出してしまうタモリ倶楽部や、下らない依頼に真剣に応える内に楽しさが生まれてしまう探偵ナイトスクープは今も好きで見ている。深夜番組は好きだ。調和ある予定をして作るのではなく、冒険したい。その冒険は凄い事を求めるのではなく、日常に潜む何かを解き明かすのが面白い。視点を変えてみたり、良く観察してみたり、諦めずに取り組んでみたり・・・楽しさはどこにでもある様に思う。

しばしば「楽」である事は長所とされる。けれどそれは「楽しさ」とは対になる。同じ「楽」と言う感じを当てるけれど意味が真逆になる。効率や合理性が便利さを生み楽になるとしても、それを求める正当性がなければ退屈という短所になり果てるかもしれない。不便や不合理は楽しさを生むには欠かせないのだけれど、間違えばただ不便なだけにもなり得る。要求を見極めバランスを得る事は大切。

設計で、凄い建築をと意気込むのは余り良くないように思う。予定が調和してしまうかもしれない。退屈の温床に成り兼ねない。日常の中に見つけた楽しさを活かして特別な喜びを見出せるなら持続の可能性も感じる。無理のない取り組みは自然体でもあるし、それが特別ならより楽しい。

お寺の設計で、日常の中に特別な空間を創造した。
一般的な住宅のリビングに光を導き驚きを得た事もある。
どれほど特別な事も日常の常になれば麻痺もする。
ふと気づいた時に、良いなーと思える空間を求めたい。

そういう設計は特に難しい。

何となく記しておきたくなったので記す。