社会環境とどう向き合うか。

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敢て載せるのはアトリエの屋上からの一枚、縮小画像を。月夜に星空を撮れないかと撮ったもの、標準レンズ域に近づけると見える範囲の集合住宅の窓が気になってしまう。覗き趣味はないけれど、撮れば今のカメラなら広角で撮っても写り込む事がある。撮る人のモラルに拠るとしても、見ようと思えば見えてしまうのは実に悩ましい。結果、『レースのカーテン』という必殺の道具が欠かせなくなる。あの薄い布に頼らなければプライバシーを守れない環境とは何とも切ない。実はこれは戸建ても同じ事だ。設計で言えば、レースのカーテンに頼る事を肯定して良いなら仕事は実に楽になる。プライバシーを考えなくとも良いのだから、何とでもなってしまう。

マンションなど集合住宅の場合、プライバシーは優先順位では低い。建てた面積の多くを販売、或いは貸せる面積にする事は建築主にとってのメリットになるので最優先になる。使えないサイズのバルコニーは避難のためのものに過ぎず。現行の法規を掻い潜り、法を作る方も使う方も同じくして今に至るのとしても、実際に住まう人の事は二の次である事実は間違いない。人の生活が住まう人の要求以外の事に支配されている。

コストを考えずなら、高層階ならより周囲から眺められてしまうのだし、中層、下層でも心地を考えるなら、大きな使える空地を取り込みたいと思う。コートハウスでは無いにしても使える広さのバルコニーを設け、各室はその広がりから採光し、換気できるように施したい。外から眺められてもレースのカーテンでプライバシーを守る以外の方法の無いのはどうにも気持ちが悪い。

こう考えると、人のプライバシーは覗かないという暗黙の了解を元にした生活環境を前提としなければ、住宅の設計はままならないのが現実だ。それはどこか、間違っているように思う。

満月は明日?月夜に嬉しくてカメラを構えた時点で、覗き見趣味?と躊躇わなければならない他人任せのプライバシーこそが間違っている。周囲に光をまき散らす街灯は当然建物を煌々と照らし出すし、どこを向いても『生活感』の漂うう風景に美しさや魅力ある光景を求めるのは非常に難しい。観光客に頼る経済を模索しても提示出来る環境の無い街並みとは残念に尽きる。


窓の外、住む人も訪ね来られた方も、綺麗な風景を目の当たりに出来る街並みを築けたなら、きっと喜ばしいだろうにと思う。