2022 春の縄文探検。その②

『記念塔』を視察する。

詳細は後に語るとして、この日は曇天の為に写真は映えない。けれど陽射しで塔がシルエットにならず隅々まで観察の出来る好条件だった。実は皆様、良く観察された事はなさそう。最初に少々講釈をする。デザインは口頭3分で語れるシンブルなコード、けれど現地観察では複雑な感性が必要になる。


100mの高さは実際、見上げ続けると首が痛くなるものの、見通せる視野の範囲にある。その意味ではヒューマンスケール限界値ではないかと思う。


塔の角は60度に折れ曲がる。90度なら小口が見えるだろうに、なかなか見えないので、非常に薄い『面』だけが聳えて見る。気持ち悪いくらいに鋭い。


広角レンズを使っているので写せるのだけれど、煽って撮らずなら、相当に離れなければならないので良い運動になった。意外に安定したドッシリ感がある。


場所によっては本当に薄くヒラリと聳えて見える。人が認知できる規模、本当に程よい大きさが選ばれたのだと思う。


程よく大地から聳える塔だ。
例えば超高層ビル程のスケールになると、それが街中なら視点も限られ、そもそも見える範囲を超えるので認知がままならない。あれは「ビル」と名の付いた都市スケールの存在なので、それが正しいと思う。到底は認知出来るスケールに無い。

この塔は100m、目に見える範囲にある。例えば100m走、ゴールが見えるので走れる。それが200m走直進競技なら?200m先のゴールを視野に確かにするのは危うい。300mともなれば見えないと言って良い。認知出来る視野範囲を超えると人は見ない事を選択してしまうのだろうと思う。だって、見えないのだから。

予定では精々30分で次!だったのだけれど、観れば見る程に噛み応えのある佇まいに、一周するだけで小一時間を要した。確認のためにもう一周してしまう所であった。