札幌祭り

本日からは札幌祭り。実に3年ぶりの開催になるそうだ。2年もの間、開かれていなかったとは。こういう事が起こり得るとは信じられないし、受け入れられない事に違いない。

人混みが得意!という人に会った事はないけれど、自分も苦手ではあるはずなのに、子供の頃はお祭りは楽しみだった。夜に出歩き、煌びやかな出店の広がる風景は忘れられない。まるで街灯に吸い寄せられる蛾ように楽しみにしてしまっている自分が居るのも信じられない。蛾が楽しんでいるのかは分かりませんが。


故郷の小さな町も、当時は割と延々と出店は広がっていて、実は本日の中島公園の広がりに近かったと思えた。どういう選択で選ばれた屋台なのかはわからないけれど、本当にお店の数は例年に比べとても少なかった。基本は一方通行、屋台は通りの片側のみ、お化け屋敷の類も半分に制限されていた。加えて沿道には係員が立ち、一方通行の立札を持ち、アナウンスもされていた。もちろんマスク姿は必須で、広い中島公園の川辺などあちこちに人はタムロしていたものの距離は遠い。
※これは初日のお昼だったからで、夕刻には大変な混雑だったらしい。

信心もなく、ただ吸い寄せられるだけなのだけれど、それでも折角なので・・・本日の昼食は露店の出店品で!と散歩がてら訪ねて人混みに交じりる。あれこれ眺め買い、綿飴?と思った時点で取り止め帰って来たのであった。

屋台もので美味しかった記憶は、ほぼ無い。けれど、年に一度くらい浮かれても!と思う。購入するまでの興奮はハンバーガーやピザにも似てるのかな?屋台の調理風景は眺めていても楽しいし、賑わう風景を眺めるのは楽しいし、その場を共有するのも大変に嬉しい。

実の所は思い出とは、くじ引き屋台で飾られた煌びやかなおもちゃを前に興奮して引きツマラヌものが房から渡される哀しみや、意気込んで水に入れた器が破れてしまう金魚すくい、果敢に挑んで割れる型抜き・・・幼少時代に経験しておくべき貴重な機会に違いない。あれこれ食べて散財するまでもあるけれど、賑わいの楽しさはあまりに魅力的、失うには惜しく、やはり開かれるのは嬉しい。人の集う機会を肯定出来るのは、やはり楽しい。

子供の頃のお祭りには植木や陶器売りの屋台があって、しゃべりの上手い店主との掛け合いが面白かった。10円20円で購入した器や植木やらが思い入れ深かった。


中島公園の屋台はあまり行儀よくは無いのは勿体ない。祭り明けの翌朝のゴミの散乱する様は心無さ過ぎて悲しい。どうして来た人達はゴミを残してしまうのか。ココだけは許せないのではあるけれど。などなど思う事はあるものの、それでも、広島焼きは年に一度は食べたいな。


写真は今宵夕暮れ。割と大きな月が登った直後の暮れ、手間には層状の雲が霞め隠していた。昼間に出歩いたのが気持ち良かったのか、夕暮れ空を確かめたく外に出た。夜は寒いけれど、外に出ようと思い改める夜を過ごす。