フィボナッチ数列


フィボナッチ数列(数)』は造形理解の際に例えば『フラクタル次元』等と同じく必ず登場する数学だ。自然の造形の中に潜む数学の存在は衝撃的で、人が見たいから見たのではないか?と思える程に完成された理想の数が並ぶ。フィボナッチ数列は貝殻の構造などで紹介される事が多いだろうか。

自分でモジュールを考え挑んでも、削ぎ落して研ぎ澄ましたような既知の数学を前に絶望しか得られない。そもそも優先順位に設計都合が含まれる時点で及ばぬのは現実、けれど、取り組み続けていれば足元には辿り着けるかもしれない?希望は失いたくない。まぁ、学生時代から国内、国外で既に数えきれないほどの建築や美術作品を見て来たけれど、どの一つも数学的な美に及んだ!と思えるものに出会った事はない。どれ程に名作や傑作の類であっても然りだった。そこらの葉の美しさに及ばぬのを知る事になる。

数千万年か数億年を命を賭して求めた形態が数学でしか理解し得ない洗練の境地であっても不思議はない。人も数万年ほど挑み続けていれば、その足元に及ぶのかもしれない。少なくとも壁の高さは見えるかもしれない。今の人は、その壁の高さを知らない。

と言う事で、綺麗だなー!と実感する「気持ち」を大切に興味を失わずに挑み続ける。とりあえず天才でも及ばぬのが事実なのだから、唯の閃きにも可能性は否定出来ないはずだ。何かの発見は楽しい。この春に初めて紅葉の図案化を試みた。深く検索をしていれば、より精巧な理解に出会えるかもしれないけれど、そうそう見つからない。なかなかにオリジナルな取り組みだったわけだけれど、パラメーター調整も可能なので何かのゲームに出来る程度に余地を覚えつつだったと思う。

設計の際は、優先順位は敷地の特性であり、コストであり、クライアントの要望となるものの、凛とした背筋の確かさを見失っては彷徨いかねない。少なくとも美のある世界を意識する事を知っておきたい。


あれこれ書いたのだけれど要は、久しぶりにフィボナッチ数列を図案化してみると、その見事さに見惚れ感激してしまったので、言い訳的な理由をこじつけてみたぞ。