道東にて。

故郷の道東に暫くぶりに帰省したのは先月の10月末の事、片道300kmの距離を実感しつつ、道中の殆どが雨であったとしても出会う景色は心象を写すよう。心残りは満天の星空に出会えていない事だろうか。設計した建築は少なくなく、今はどうしているかを確かめる旅でもある。


帯広の住宅【 MoAi in ny 】は思い入れ深い。多くの出会いがあり実現する事ができた。個人宅なので詳細は載せませんが、どうやら未だサクランボの木が無事の様。本当は初夏にサクランボが実る頃に訪ねて、甘いあの味に出会いたい。


音更のお寺は【 光明寺 】も久しぶりに訪ねた。後で写真を撮ろうと思っていて忘れる。先ずはど念願かなって「キンギョソウ」を眺めた。

 


オンネトーのキャンプ場のある湖畔、その管理棟
も実は設計計画をした。監理は叶わず不満はあるのだけれど、特に重要と考えた奥にある駐車場の日常と湖畔を切り離す事が今も出来ている。俗世界は交わらずにゲートの役目を果たす。

既に秋は終わりかけ落ち葉が地表を覆う。


故郷の町にあるお寺【 佛願寺 】は早朝に眺めた。葬儀も行う会館があり、とても大きなお寺なのだけれど古くからある町の象徴の一つでもある本堂を・・・写真では境内の庭木に隠れてしまったのだけれど、設計の際は大いに悩んだことをいつも思い出す。町並みの際にある建築、街並みを守る存在としても計画をしている。威圧的に聳えると間違うし、希薄になれば町並みが放散してしまう。少し離れると背後には盆地らしく山を背にする建築が正しく存在することで、町の在り様を示す事が出来るのだと思う。実際、安心させられる。

人は不思議で失われた建物が何だったのかを思い出せない。故郷の町は既に多くの家屋が失われていて隙間が多くなっていた。意図せず密度を下げ、空間が希薄になると寂しさを誘う。町の領域が不明瞭になると不安を覚える。その意味でも、このお寺がココに確かにあり、色付く庭木と共に常にある事は実はとても大切な事だ。

設計ではつい、敷地の中で完結したがる傾向は否定出来ない。現実には隣地や周辺環境、規模によっては地域と関われる建築は、より大きな視点から眺め耐えうる存在を考えたい。

道東では他にも幾つかを眺め・・・写真を撮り忘れているのだけれど、撮影に行ったわけではないので良しとするけれど、密な環境ではない故に周囲や町並みとの関係を大切にした設計を試みていた事を改めて実感させられた。