光明寺設計物語【2017.07.22】概算見積が届く。

概算とは言え、見積は本見積レベルの詳細があった。
十勝での取り組み、基礎工事、木工事、建具工事、
金属や板金工事、塗装や左官工事、電気、設備工事
・・・これらは外注となり、それなりに大きく、
この事業を世に知ら知らしめる機会となる。
狭い社会故に、この情報は広く伝わっただろうか。

2017年7月22日、概算見積が届く。
封を解き初見の際は、本当に緊張をした。
そして、予算内での具現の可能性を確認出来た。
もちろん、後に細目まで検証を済ませた。
依頼をした施工者は過去に一緒した業者、
また、その担当者にお願いをしていた事もあり、
安心してその見積に目を通す事が出来た。

見積は数字しか載っていない。にも拘らず、
数量を拾い単価を入れた人の個性は明らかにある。
過去、ハウスメーカーの見積が坪単価表記の上、
オプションが加えられた紙一枚というのを見た
事がある。驚いた。それでは何もわかならい。
施主は言いなりになるしか出来ない恐ろしさ。
設計者のある場合、施工者が施主と契約に至る際、
三者となる設計者の目が行き届く事になる。
故に嘘を書くことは許されない。設計者にも技量は
あって、中には見積を精査出来ない方もあるらしい。
デザインはするけれど詳細を描けない人も少なくない。

自分はこれまで建築を具現するために楽はしていない。
最難関の一つはやはり見積で、一気にギリギリを攻め
きる事は難しく、押して引いて見積を調整し、得る。
施工者の値引きに頼った調整では後に苦労をするのは
自分自身になる。値引きされた見積は充てにならない。
「既に値引いてますから」と言われれば文句も付け
られず、VEを求める事が出来ず言いなりになってしまう。
主導権を譲らぬためには理解をし提案が出来なければ。
よって、細目まで検証できる技量は必須の事。

概算図面に付けたあのパース、経験のない業者なら、
至るところが不明で悩み、結局は外注業者から
届いた見積をそのまま記し、高価な見積に至るだろう。
過去に一度対戦した施工者は、私の要求を汲み、
この当たりでと質を設定して計上が出来る。
そういう業者に依頼をした。
時間は掛かったけれど、夏の忙しい時期に
丁寧な仕事をして下さった事に感謝しています。
依頼したS工務店のO担当者は本当に心得た見積を
提供してくれ、今後を考える上でも安心でした。



この概算見積を持って、具現の可能性を確認でき、
この後に施主と相談し、実施設計を前提として計画を
進める事となる。

実際の所、要望をそのまま図面にすれば、貼るかに
大きな規模に至っていた。それを制し、寧ろ最小限で
担える建築を求め、ヴォリューム模型で検討し、
エスキースで修練させ、奇異でも特殊でもなく、
俯瞰しなければ何事が分からない程に慎ましく、
ここに集う人が建築を背にして楽しげで在る様な
なスケール感覚の建築の具現の可能性のある事を
示す事が出来た。

設計者としては計画の一段落、ついでいよいよ
実勢設計を前提とした作業へと移れる嬉しさよ。

クライアントにすれば、あれもこれもと
思いたいだろうけれども、希望だけを
伝えれば良いのではなく、覚悟をしなければ
建築に至れない現実を伝える機会でもあった。

課題は多く、お寺においては概ねは合致では
あるものの、諸室の規模構成はもちろん、
庫裡にあっては、更に大きな問題も抱えていた。

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概算見積書、結構な厚みがある。付箋を貼り、
項目毎に自分自身で集計し、過小過剰を確かめ、
時間を掛けて検証をした。

見積書とは設計図面と一対一で呼応するもの。
設計とは施主の言葉を建築に置き換える仕事。
見積書は設計図面を施工者の言葉にした成果だろう。
これが成立して初めて建設に至る事が出来る。