Passion

ローザンヌ国際バレーコンクール、というのがある。スイスはローザンヌで行われる、若いバレーダンサーを対象に優秀者にはキャリアのチャンスが作られるコンクール。日本人の優秀者も今は多いのだろうか・・・もう随分昔の事だけれど、何となくテレビで目にし、眺めたのが初めてであった。バレー?素養は全く無い。けれど、観ていると何となく分かる気がする。それは解説者なり、助けてくれる事と同時に、感じるからなのかもしれない。舞台は床と壁、無地の空間に立ち、数曲の規定曲を短く古典とコンテンポラリーの二種を踊る。これが何だか引き込まれてしまうのだが、何故なのだろう?

本当に不思議なのだけれど、指先一つのほんの少しの所作で印象が違ってしまう。

番組当初、観た頃の解説者は非常に痛切に批評をされる方だった。容姿やスタイルを非難し、スター性を問うたりもしていた。足が短いとか華が感じられない等を徹底的に。運動会で順位を決めない、の様な平等教育が囁かれた頃だったかもしれない。しかしながら当然の事として優劣はついてしまう。批評は否定とはイコールではなく、寧ろ個性として際立たせる事も出来る。古典で良かった子がコンテンポラリーでは難しく見えたり、その逆もある。もちろん、どちらでも個性を発揮できる子もある。容姿やスタイルは確かに初見の印象を大きく作るものの、それが男の子も女の子も個性の方が際立って惹き付ける。

以来、何度かは観忘れて残念に思った事はあるものの観てしまうし、今は毎年楽しみにしていたりする。全く素養はないのだけれど、面白い。

今年の解説者は著名なダンサーで会場では日本人ダンサーの審査員と話しをしたらしい。そもそも優劣を評価するのは難しく、何を基準にするかと言えば『Passion』なのだそうだ。たぶん、技術面は理解出来ないものの誰しもが『観たい』と思うダンサーを選ぶのなら、それが基準になるのだろう。たぶん、とても正しい判断ではないだろうか。もちろん、判断する人は先入観に囚われずに最適者を選べるだけ十分に純粋で在る必要はあるだろう。第一位だったアメリカの16歳、私でもこの人!と思えた。可憐な顔つきとは別に鍛えられた大きな体は完璧!?な動作をし、それはまるでアンドロイドかレプリカントかと思えた・・けれど、非の打ちようの無いのが難点だろうか。どう完成するのだろう?という期待感が欲しいなどと、勝手にあれこれ楽しんでしまった。



自分の事を書けば、設計においてこれまで『Passion』を失った事はない自負がある。『仕事』と割り切る事は最後までしない。どのような仕事でも最後まで何をか企みたく取り組んでいる。

今は自分の名で仕事をする以上、そこは遠慮なくPassionを・・・もちろん、論理的解答を導く努力も忘れず創作性を求め。そもそも、どのような仕事にも『Passion』を見つける努力をしている。論理で攻める事が出来るなら安定するし、けれどルーチン化させずに常に求める意欲は創作性に求められるだろうか。