硝子。

カインの末裔』を読んだ時はこの北海道の事でもあり、衝撃的だった。実直に生きる人の逞しさ、強さ、その迫力は印象深い。有島武朗の小説。その有島の自邸は今、札幌の芸術の森に移築され見ることが出来る。

 

f:id:N-Tanabe:20190723002311j:plain

硝子が綺麗だった。溶解した金属の上に溶解した硝子を浮かべ平滑に作る現代の硝子、フロート硝子は極めて透明、対してこの住宅に使われている硝子は歪んでいる。平滑でクリア、透明な硝子の方が何か封をされ呼吸が止まってしまい遮られたかの様な気がしてしまう。歪な硝子は拭き残しがあるのかな?暑くて確認を怠った。一見して外の景色が実に綺麗に見えてしまい思わず撮った一枚。

なんで綺麗に見えるのだろう?

外の林に落ちる陽、そのコントラストが新緑を浮かび上がらせ、素敵な光景が見える。明らかに硝子は意識出来る程に存在感があり、自分と外の間に在るのだけれど、外を実感させてくれる手伝いをしてくれるように感じる。歪故に残る拭き取りの跡なのか、歪故に光りが乱反射するのか、桟で仕切られた各々の硝子に一面の平滑さはなく微妙に狂う事で一枚一枚の明るさが違って外が見えてしまう。硝子の数だけ映像が映されていて、それを眺めているかの様でもあり、インスタレーションアートであるかの様。自分の立つ場所、陽の具合で目まぐるしく変化してしまい、それが外の光景と呼応するか相乗して変化が大きく感じられ、実感を強くしてくれるのだろうか。

つい、大きなクリアな硝子面を設計では考えてしまうけれど、封をしてしまう様では違うのかもしれない。硝子の選択肢は他に探し難いのだけれどね。精度で考えると不良の域なのに、それが作る光が面白いと言う事は知っておく方が良い。こんなに生き生きと外を感じたのはとても新鮮だった。

f:id:N-Tanabe:20190723002321j:plain
有島は留学の経験があり、自邸の設計では様々に取り組んだのだそうだ。和と洋とが混在する。和室に用いられた窓は上げ下げ窓。雪見障子ではなく洋風の上げ下げ窓。設けられた格子も小気味良い。長押は低く和の寸法、そこにある窓は洋風で独特の室内風景があった。

f:id:N-Tanabe:20190723002333j:plainこれは違う部屋の畳に落ちる光の影。桟には二枚の硝子が一々嵌め込まれ、一応の二重サッシになっている、物凄く手間の掛かった窓、床の畳に届くまでに光りは十分に屈折し、外の林の木漏れ日も映え、見惚れて動けなくなってしまう程に実に綺麗だった。プリズムにでもなるのだろうか、宝石の様にキラキラと移ろっていた。


古い建物ではしばしば出会う歪な硝子、夜に光りが少なくなった頃は外がどのように見えるのだろう?朝陽や夕陽はどう見えるのだろう?興味を覚える。

映える光は木々の揺れをも写してもいて、守られた室内に居ながらにして外の風の強さを実感出来る。そんな風に外を感じる空間なら、何か違う感性が育ったりするだろうか?

これに感化されて連窓の一々をほんの少し角度を違えてバラバラに設置してみようかな?なんて思ったけれど、何かを間違った施工不良にしか見えないだろうな。