テオ・ヤンセン展

テオ・ヤンセンを知ったのは15年程前の事だったと思う。受けた衝撃の大きさは計り知れない。面白い事に一生懸命に取り組み世界を創る人が居る事実は他に代え難い価値があると思い知る。書き出すときりが無いほどになると思う。

似た衝撃は、過去に見たSTAR WARSの博物展示で見た、映画撮影に使われたスターデストロイヤーやミレニアム・ファルコン号の模型でも経験する。あの巨大な模型は迫真の迫力だった。世界を創った根幹だった。

或いは、ジャン・ティンゲリーの楽器に出会った時と似る。ティンゲリーの創作物は芸術だろうか?決して美しいものではない。ただ、楽しい。極めつけは動く事にある。楽器は巨大な工業廃棄物の成れの果て、ジャンクに違いないのだけれど、奏でる騒音が響く様は歓喜するに十分で、あれ以上は無いと思えるほどに素敵だった。

実物に出会えて感動してしまい、まぁ、何を書き出そうとしているのか知れないのだけれど、記しておかなければと思う。

 

f:id:N-Tanabe:20190723015656j:plain

私が詳しく書かずとも、興味を持ち検索されれば詳細は直ぐに知れるだろう。これらは動く。どうやら生物らしい。

f:id:N-Tanabe:20190723015700j:plain
これも動く。

f:id:N-Tanabe:20190723015704j:plain
定時に可動パフォーマンスがある。訪ねた際はこれが動いた。人だかりが山の様になり、動き出せば驚愕の歓声が上がる。正直、「これは何だろう?」と判断に迷うだろうものに違いないけれど、動きだした瞬間に何かを感じ、動いている現実を目の当たりにして歓喜してしまう。

f:id:N-Tanabe:20190723015708j:plain
創作には苦労された筈。これはディテール試作集。素晴らしい。

f:id:N-Tanabe:20190723015712j:plain
要となるディテールはこれに違いない。可動する脚部の要。案外に簡素、強度ある仕組みは無骨で洗練されては居ないものの簡素化され十分なものだった。


自分には『光』と『動く事』への興味が継続してある。光は直接的に建築設計において特別に重要なものだ。見聞する中でテクスチャーへの理解は進み、実地で建築先例を見る中で得た感覚、今最も実践で注視するスケール感覚は常に磨いている。

動く事、建築ではそうそう有り得ない。仮設建築の仕組みには興味を覚えるけれど、動く事は先ず稀な事になる。動く事、この興味は昆虫好きが大きく影響しているかもしれない。動く仕組みや骨格への興味は子供の頃から変わりない。私の卒業設計は正に、動く建築だった。最難関は動いてしまった建築が「建築」なのか?根拠を見出す事だっただろう学生時代、その最難関に挑んででも動かしたい衝動に駆られ従った。

建築は場所を特定し、そこに築かれる。基本的に場所を離れる事は出来ない。仮設建築の場合は場所を特定せずに仮に建築が可能になるものの永続性はない。ただ、場所を選んでも寿命には抗えない。サイクルが生命のように継続出来るなら恒常性を得られるだろうか。

卒業設計では道東の故郷で親しんだ自然の中の様を強く意識し、植物的な動体を創造した。静かに地表を多い環境を生み出す様を考えた。私の持っている建築思潮の一端を今も担う思い。ただ、卒業設計では唯一場所を固定せずに動き回るもの、それは昆虫的なもので植物の活動と相関する生物の如くも考え生み出した。まぁ、そこまで行くと正直に言えばかなりSFに感化された嫌いは否定できないのだけれど。

動くとなれば機構が必要になる。要となるディテールが必要だ。卒業設計で考えた対象を模型製作した際は困惑しつつ取り組んだ。

f:id:N-Tanabe:20190723024454j:plain
その一体がこの写真。動き回らないけれど、姿勢は柔軟に変えられるだけあちこちが動く。模型では13本の糸を使い姿勢を制御している。

f:id:N-Tanabe:20190723024459j:plain
模型はプラスチックの棒と紙と糸で制作。その要のディテールはこの様な具合。
製作したのは既に四半世紀以上前の事。

f:id:N-Tanabe:20190723024505j:plain
これは10年程前にあるプロジェクトで製作した模型。発展形なのだけれど、脚がある。歩き回る動的仕組みまでには及んでいないのだけれど、素早くはないとしても、4脚あれば歩く事は出来ると考えた。


日常の設計において「動く」事は難しい。今回訪ねた展示会で出会ったものは建築ではないのだけれど、構築されたそれは、私には建築的なものと認識していて、実に有意義だった。

好きなジャン・ティンゲリーの初期の作品にコンポジションだったか、ディ・スティールかモンドリアンかという風の幾何学がキャンバスに浮かし止められたものがある。やや緊張は間の抜けたものなのだけれど、コンテンポラリーアートの一つに見えて不思議なのは、絵の横に「スイッチ」の在る事。絵画の展示でスイッチは有り得ない。それを押した瞬間に確信する。浮かし止められた幾何学図形が動き出した。途端にそれまで見ていた図形の緊張が様々に変化し、笑う以外の感情がなかった。可笑しいとはこの事、アート、芸術、創造の世界で腹を抱えて人まで歓喜した初めてだったかもしれない。でもそれが核心で、動く事で壊す事も創る事も出来る。それが殊更に楽しい。そう取り組んでいる人が居たという現実が救ってくれる。

テオ・ヤンセンの創作物が何なのか?正確には伝えられないし、伝える必要の無い程に広がり行く世界が存在している。目の前で動かれれば心揺らがぬ人もないだろう。既成概念に囚われず居られるなら、子供なら間違いなく。何か変なものが世の中にあるんだ!と、楽しい時間を過ごせるかもしれません。面白いでの是非、訪ねてみて欲しいなー