夕陽 2020年の写真から。

朝陽も夕陽も見える変化は同じに違いない。けれど時間は逆になる。
朝は、爆発する様に現れた陽が周囲を焼き尽くして空を青くする。
夕は、陽が隠れる瞬間に色を失う、昼と夜の狭間、堺だ。

・・・もう少し谷崎潤一郎を読もうかな。綺麗に表現しようと頑張ってみても、酔っていないと書けないぞ。翌朝眺めて赤面をする。けど、残してしまおう。写真は割と綺麗なので。

建築写真を撮る際は、陽が隠せた瞬間の空に僅かに明かりの残る時間、このトワイライトを逃さずに撮る。時間にして10分も無い。ベストは2~3分に過ぎない。これも毎日の事なのに、なんて劇的なのだろう。

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外で珈琲を淹れる文化は根付いた。これは石狩川河口。

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これも石狩川の河口、別の日になる。河口の両岸に灯る光は色が違う。闇に沈む直前、水面近くに立ち込める水蒸気が空に僅かに残る青さを覆う。何を見ているのか不思議な世界。これはロマン派の画家、ターナーの絵みたいでとても好きな一枚。

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あまり馴染みのない石狩の海、今年は割と通ったのではと思う。夏なら、仕事を早めに切り上げて走れば、夕陽に間に合う。帰ってからも仕事するけど。
海はイイ。三日月が映える。

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これは支笏湖での一枚。恵庭岳に三日月。夜になると、三日月を撮るのは割と難しい。未だそらに明るさの残るトワイライトでは、細く写る。

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石狩川千歳川の合流点で珈琲を淹れた時の一枚。海も川も湖も、水は夕陽に良く映える様に思う。開けているので映えるのかな。

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アトリエの屋上で眺める夕陽。藻岩山の裾野と建物が立ち並び、陽そのものは今一つ綺麗には見えないのだけれど、空はしばしば色づき目を奪わられる。カメラを持って屋上に上がる余裕は無くさない様にしたい・・・少なくとも面倒に感じては拙いぞ。

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陽が沈んだ直後、街中はすっかり夜に見えるけれど、未だ暫くは西の空に青みが残る。この時間の光の変化はとても好きだ。明るくなる方向へ進む朝よりも、光を失う過程である夕は情を強くするのかもしれない。