春の、寄り道。

数日前の事、早起きをして遠回りの寄り道をした。


訪ねたのは有珠の善光寺。時々訪ねお邪魔させて頂き、眺めたくなってしまう。江戸の三官寺の一つは今も無事にあり、慎ましくも厳かで心が落ち着く。


敷地の使い方は絶妙、建築のある光景は素晴らしく、何かしらの正解に違いない。建立の経緯、その時の設計とはどうあったのだろう?

今の私なら? 地形を3Dと模型で製作し地勢を理解し、様々な配置やヴォリュームを探してエスキースを繰り返す。

穏やかな噴火湾の中にある極めて穏やかな有珠湾、湾内の一つの窪みに面した岡の上、多少の造成はしたに違いものの平地を選んでいる。


  826年:慈覚大師円仁が小宇を造り阿弥陀如来像を安置、開基。
1613年:松前藩主が阿弥陀如来像を安置して善光寺と称す。
1804年:江戸幕府が本堂や客殿が再興し蝦夷三官寺の一つとなる。
※善光寺のHPより抜粋。

有珠湾の南側、ポロノットの森の南側は波風に洗われそうに見える。有珠モシリ遺跡のある突端から有珠善光寺自然公園のある北側の丘山は、噴火湾の中では特別に良い立地だ。室蘭港もおそらく良いはずだけれど、埋め立てられた今は当初の地形がわからない。

その丘山の緩い平地を選ぶとは実に憎い。ムクリのある茅葺屋根は地勢に沿うかのようで自然な佇まい、柔らかい線の美しさは、そこに凛とした秩序を与えて特別な存在足らしめている。

鋭さや対比の構図、馴染ませるべきか立たせ存在を見せるべきかは悩ましい。前者は無理はないものの隠れすぎるかもしれない。後者は際立つものの飽きられるか朽ちれば廃れてしまう。規模も絶妙なのだろうな。今は史跡ではあるものの唯のお寺、運営に余裕があるわけでは無いだろうし、日常の様々をお手伝いされる御門徒様も限られるはず、いつも綺麗にされている光景こそが素晴らしいのかもしれない。ただ、その甲斐はあるはず。

建築の出来る事は少ない。適切な場所を選び、適切な規模を想定し、適切な建築物を築く事。現状はおそらく200年前の姿を残し、守られている。有珠山の噴火は何度も遭遇しているはずで、茅葺屋根の維持も定期的に果たされている。甲斐はあるとしても、紆余はあったのだろうな。

史跡に指定されると補助があるのかな?現状維持が求められ、壊す事も新しくする事も出来ないのかもしれない。間違えば痕跡なく建て替えられていたのかもしれない。何が正解かはわからない。

以前に訪ねた江差の横山家、老築は進むけれど改築もままならずと維持の難しさを吐露されていた。2018年から一時閉館で今は見る事が出来ない。

今の善光寺はコロナ禍のまま、以前のように室内を歩く事は出来ない。最後に室内を眺めたのは2019年だった。再び室内を訪ねさせて頂けるようにあって欲しいと願いつつ。

書き出すと止まらなくなる。


寄り道後はもちろん、仕事を果たす。帰り道も・・・想定より早めに打合せが終わったので、温泉に浸かってしまった。仕事なのかドライブなのかは問うまい。振り向けば傾いた陽が山頂に近い、山の頂きがあった。