岩見沢!


ここは岩見沢において、現存する最もコアな場所に違いない。馴染みは薄く良く知らないのに岩見沢は特別に好きな街でもある。

実は随分以前にとある設計で街並みを実地調査した事がある。それは冬の事で、風は通り寒いのに雪は多く、興味と好奇心が体力低下に及ばず逃げ込んだのが噂に聞いていた焼鳥店であった。冷えた体にもビールが美味しく、注文単位が10本、20本という具合で驚かされたのだけれど、〆の鳥ガラ蕎麦も最高に美味しく忘れられない。過去に何度も理由をつけては飲みに行く程であった。

語りだすと止まらなくなる岩見沢、その時の調査では図書館も訪ね古地図の検証も済ませていた。石狩川の蛇行で作られた内陸の平地で、沼地ではなく極めて地盤の良い場所に今の岩見沢市街がある。

そもそも鉄路の街である岩見沢、駅の北側に広く広がる鉄道施設が謂れを物語る。もちろん縄文の頃から人の痕跡があり、それは石狩川の恩恵があった事を示している。この地が近年に発展したのは北海道の炭鉱開発を端を発している。岩見沢より以遠には三笠、美唄、砂川、赤平、歌志内・・・と数多くの炭鉱の街が栄えていた。

炭鉱で得た石炭は鉄路で小樽まで運ばれる。その中継地点が岩見沢で、そこで集計され送られていた。対価は逆に流れて地域に送られる。当時は給料日になると岩見沢に繰り出し、そこは華やかな世界が広がっていたらしい。今は失われてしまった経済の流れではあるのだけれど、今も岩見沢の街には当時のコアな場所が僅かに残されている。



この建築に出会えた事はとても嬉しい。バラバラに見える建物は一群で一つの建築、奥のグレーの部分の更に奥にも、見えている部分の半分程が連なる巨大建築は、一枚目の写真の細い路地を挟んで対となる建築物で今も聳えている。木造のバラック、何時誰がどうしたものかデタラメなファサードが自然発生的に生み出されていて、それは既に私物の様相だ。その力強い生命感が建築だとは驚かされる。その頃は岩見沢で最も巨大な廉売市場のナタノタナの存在していた。

線路に平行な街区は昼の街として整えられているものの、線路と直交する縦動線は夜の街、混在する不思議は区画も岩見沢は魅力的に見える。540mだったろうか、開拓入植時に区画したのはその当時の測量限界による。札幌の街の条や丁もこの寸法であり、北海道の統一規格になっている。どの地域に行ってもスケール感が合致するのはそれ故である。例外は、それ以前からある港町。地勢や当時の事情から街並みは形成されている。

面白いのは地域の発展の度合いや都合で、中心市街地は更に小分けされて今に至る。岩見沢は分割方法を間違っていて、正方形に区切ってしまった。網走も正方形に街区が分割されているのだけれど港町故にか小さく小気味よく納まっているのに対して、岩見沢は長屋に建築するのは奥行きが長過ぎ、四方の路面に面して建築すると中央が余る。この余地があまりに魅力的だ。

必然的に『路地』が生まれる街区が岩見沢の市街地の特徴で、車も入れない路地が無数に存在し、通りとはまるで違う光景が広がっていた。当然、軒を連ねる飲み屋が隠されている。中にはそれらを結んで廉売市場となっている建物も複数が存在し、迷い込むとワープするかのように違う街角に出てしまう。ナカノタナは街区を縦に長大に結ぶ建築で、当時既にその殆どが閉まってはいたけれど、布団屋に薬屋に花屋に床屋、何でもあった。

札幌は大作りの街区で建築が大きく、故に歩いても変化に乏しく散策が楽しい町ではない。建物に入って楽しむ事になるので、それが良いのかどうなのか。過去にヨーロッパの各地、コロナ禍前にはタイを訪ねたけれど、歩いて楽しい街とは?ニセコに来る外国人が札幌には来ない理由がわかる。

『路地』はどう手に入れるのか?北海道のように綺麗に区画した地域でも可能性のある事を初めて岩見沢を調査で歩き回り理解をした。無理にそれらしく造るのではなく、自然発生的に生じる可能性は、建築設計において極めて重要だ。例えば住宅規模であっても、効率的で合理的に設計をすると唯の廊下に成り果てる移動空間を、あれ?何があるのかな?誰がいるのかな?という奇想天外の空間に仕立て上げる事も出来るかもしれない。それを建築家の意思ではなく、住まう人の日常に生み出せるなら?写真では写らない、末永く特別な「場所」となる、唯の廊下を設計する事が出来る。

ただ、今はもう既に多くが失われている。調査した当時にはまだ古い木造の料亭もあったのだけれど。写真の場所は、岩見沢が市として発展した頃の記憶を残す貴重な場所であり、建築だ。

実はこの建築も所有者は高齢で、個人で維持するには痛み古過ぎ、帰路にあるらしい。既に街は郊外に発展し、大きなショッピングモールが広域に地域を支えている。札幌⇔岩見沢の公共交通機関の利便性を考えると夜に飲みに行く事も出来る。中心市街地の重要性、必要性は薄れて久しい。だとしても、早い時間から何故が混み合う焼鳥屋、食べた後にウロウロできる街は極めて魅惑的だ。

表に見える景観だけで街は語れない。今流行りの様にしてしまっては地域を物語るには失うものの方が遥かに多い。果たしてどう痕跡を残し、後に伝えられるだろうか。道内の多くの地が抱える難題に決定的な解決策は無く、既に待ったなしではあるのだけれど、その一つである岩見沢の貴重な建築資産を大切には出来ないだろうか?と再訪した夜に思う。

この中の一つのスナックにI.Wハーパーをボトルキープしています。