土間 【編集中】

『土間』が使われている風景では、やや違うかもしれないけれど『寅さん』の団子屋「とらや」が楽しい。子上がりは恐らく四畳半を二つ並べた程度で奥の間は客間か寝室か。メインの子上がりは四畳半の居間、そこで物語の多くが始まる。その部屋は一面はお店に開かれ、他方は共用の空地かな?他は客間、もう一面は厨房を向いている。おばちゃんが煮っ転がしを作ってくれる場所だ。階段もあり2階へ、そこには腰掛けられる小さな縁があり、頻繁に出入りするタコ社長はそこに座りお茶を頂きつつ寅さんと問題を起こす。そう言えばヒロシさんは厨房勝手口から印刷工場へ出社していたりもした。

映画は飽きずに何時もこの空間で問題が生じ、ヒロインが訪ねて来て、去り行く・・・何とも魅力的に使われていた。

家族団らんには狭いはずだけれど緊密さは賑やかで温かく、お店へ向けば商売、厨房へ向けば食事に2階への動線に親しい人が腰掛ける縁といい、何でも起こせる環境が揃う。これが完全に閉ざされた室内では難しい。初対面の人をいきなり居間へは通さぬだろうし、親しいとしても近所の社長が突然居間でお茶を飲むのも在り得ない。

「下足」の場所が建築室内を通っていればこその事。

お店は当然ながら自由に来客出来る仕組み、厨房は奥まっているのでお客が入り込まない狭さ、子上がりの居間も迷い込む場所ではないけれど障子戸なので開けたなら自由に繋がる事が出来る。断熱区分は僅かだけれど、公私の区分が出来ているのは見事。



2年前の『縄文探検』で訪ねた野幌森林公園にある「開拓の村」に移築された旧武井商店酒造部の『ドマ』はとても印象的だった。


酒造?工場か倉庫は広く、けれど基本は平屋ベースで大きさは実に可愛らしいスケール感だ。


主人の住まう場所か、客間なのか。


この写真の光景が実に印象的だ。

玄関はドマに続く。古い家屋ならドマは一まとまりの空間でカマドのある厨房と一体だったりする。それも魅力的なのだけれど、そこは商売人の住まいなので商品取り扱いのためのスペースだったのかもしれない。通りから「路地」が室内に伸びる具合だ。しかも雁行するのだから恐れ入る。写真中央の引戸が玄関ドア、左奥が客間になのか事務所?右手が母屋スペースになるに違いない。

家に入ると路地がある!? 不思議で楽しい。


振り向けば更に奥があり、右手が倉庫か工場となる。中央右にカマドがあり、奥は更に庭だろうか?に続く。その左側には水場があるのかな。左手は障子で仕切られた居住空間がある。




この事例は『断熱グラデーション』で書いた『ドマ』の一つの理想空間であったりする。

物置スペースは確保するとして、土間に自転車があっても良い。この時期ならスキー板が並んでいても良いし、玄関周りに除雪道具を並べても良い。この土間は2700mm幅と贅沢なので、住宅でなら1800mmか1200mmでも楽しめるはず。障子は断熱区分を考え表にも裏にも紙を張って二重に・・・隙間風は許容する必要があるけれど、土間の暖房設備次第では一枚何かを羽織る程度で快適さは確保出来るのではと思う。

この土間を土で仕上げるのは魅力的だけれど現代的にタイルで仕上げるか、質素にコンクリート叩き仕上でならと思う。最低限の床暖房を敷設する余裕があればペリメーター部分の負荷を担える。「とらや」程に自由に人が出入りする建築は難しいけれど、家族内であっても土足で出入り可能な場所があるのは楽しい。雪遊びか泥んこ遊びをした子等が室内で上着を脱いだり着たり出来る場所。

客間を設けるとして、それが一度下足を履いて辿りつく具合だと平面プランで考える以上に十分な領域を示す事が出来る。それが寝室でも良いし、例えば子供の部屋だとして、当初は橋を渡して置き、思春期には橋を外して下足でと出来れば・・・面白い。

私の設計『ドマ』事例では二世帯住宅でドマを介して区分した事がある。近い位置関係でも介する事で領域を分け、まるで別の住まいを行き来するような具合。

案内した移築建築事例の土間が室内で同じ床レベルだったなら?まるで成立しない。寅さんのとらやが?物語が生まれない。カメラを低く低く構えた小津映画のような緊張感が生まれてしまうかもしれない。

私は何と言うか、カッコ良く住まうのではなく、楽しく住まえる空間が好みなのだと実感する。座った人と立った人の目線が近寄るために、ダイニングに座る人とキッチンに立つ人の目線が近づくように双方に段差を設ける設計が通常だ。ドマは居住スペースとフラットではなく段差を設けたい。足腰に不安を覚える方であっても、車椅子利用でない限りは越えられる程度の段差を設けたい。それを日常としていれば外に出歩く事も出来る。手摺を設けずとも手掛かりとなる何かを考える方が楽しい。何としても車椅子に頼らず自力でとなれば尚の事。

虫好きで、外で珈琲を頂くのが楽しみで、豊平川にも通う私はおそらく生粋のインドア派で、都合良く『外』を『内』に取り込みたい衝動に駆られる。これを寒冷の北方で如何に導くか?が達成できれば断熱区分で外と断絶するのなく繋がれるのではないか?と思えてしまう。