紅桜公園は札幌は西岡にある。初めて訪ねたのは1ヶ月程前の事、目的はアートフェスタだった。立派な施設があり、よくもここまで私設で整えたと驚く。起伏のある立地、池もある上に景観が良い。屋外で芸術的活動なら恵まれた環境に違いない。どのようなものか冷やかし半分で訪ねたその際はカメラも持たずで全く失礼をしてしまった。
■上遠 野敏 作
小さな生物のようなものが自然発生的に地表を埋める様は、とても好みだ。
既に低い陽射し、この日も仕事で近所を訪ねた後の寄り道だったけれど、カメラは用意して来た。むしろ、こっちがこの日の本命だ。何だろうか?繭のような小さなものが多数。
草葉に繭、昆虫なら在り得そうなものが彫刻になる。
多数が集まり、地表を覆う。
壮観!
■川上りえ 作
これも面白かった。ステンレス板だろうか、穴を細かく穿ち網目は蜘蛛の巣の様に構造となり閉じ込められた。
薄く細い金属に囲まれ、その間から緑が溢れ見えた。
折り重なる構造が陽を浴びたり、影になり陰影を伴う。
金属質の鈍く輝く様、丁寧に磨かれバリもなく穴が綺麗。綺麗な大小の穴から見える外の風景、閉じ込められた自分。
落ちる影、これが見事だった。体は通れないけれど視覚も意識も通す、興味深い「開口」だった。
■進藤 冬華 作
園内低地にある池に掛かる橋だった。芸術作品なのに人が渡る事が出来る。
低い陽射しが低地に注ぐ際には木々の影を帯び、渡れる道に光の標が刻まれる。
規則的な構造の連続は綺麗だ。
薄暗さはあり、池は濃く映える構造が風にやや揺らぐ。渡る際はこの程度に揺らぎ、一瞬不安を覚えさせる。渡れるのは確かな構造の連続を知っているから。
屋外彫刻、触れられる彫刻、参加型の彫刻を、池に落ち水に濡れるかもという恐怖心を借りて実に良く体現され体感する。
■渡辺 行夫 作
表題や意図はやや難しく、理解に努めずに眺めたのが恐竜だ。ティラノサウルスレックスの実寸大かもしれない。骨格に忠実な再現ではないかもしれないけれど、その量塊は迫力の存在だった。
窓辺の内に閉じ込められ、池から望む。
寄るとこちらを見ている。白い牙が一際白い。
まぬけな顔にも見えるのに、牙は思いの外鋭く、もしも動けば逃げられそうにない。
再び訪ねたのがフェス最終日だった。間に合って良かった。貴重な経験、これを私設で行われているのに感謝。大変に貴重な経験でした。