タイの旅、2020年を改めて ⑤ 日本では無いと実感した光、灯り。

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チェンマイを訪ねたその夜に訪ねた近所のお寺、その境内には目的不明な場所があった。寺院の奥には人の生活があるようで、それは大きな池で隔てられていた。中央に設けられているのは浮橋らしく、バナナの木の葉の様なものが敷き詰められフカフカの道になっている。灯りがあるので渡って良いのだろうと判断したものの、どこかに穴があったりしないか不安。

この池は翌朝に訪ね全体が判明したのだけれど、夕暮れ時は衝撃的な印象を受けた。暑い以外に、訪ねた場所が自分の知る世界とは違うのだと実感させられる光景だった。山並みも見えない広い空は大陸的なものに思えたし、バラバラな灯りの具合は違う秩序が存在するかの様でもあり、そして何より暗い事が新鮮だった。

故郷の道東なら暗さは必然的に存在する。ただ、こういう空や夕焼け、灯りと対比する事はない。多くは一切の明るさの無い闇が地域の多くを覆う。訪ねた場所はあちこちに灯りがあるのに暗さが支配的にある。

ヨーロッパもそういう類の灯りの世界だったかもしれない。コウモリの飛ぶのが似合う夜だろうか。パリのシャンゼリゼ通りも一本入れば危うい?と思わせる暗さで満ちていた。


カメラは優秀なので池に影が映えているけれど、実際にはボヤけてしか見えず、暗闇体験が新鮮だったのかもしれない。江戸時代ならこんな感じだったのだろうか?

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浮橋を渡り切り振り返ると、主たる建築の寺院が見える。夕陽を浴びて建物が見える。そらは日の沈む方とは逆なので灰色だ。

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浮橋と平行に道があった。こちらは池の端らしく、堅い道だった。その中央に在る屋根付きのステージから眺める。灯り、整然と並べようとは思わなかったのかな?

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ちなみに訪ねたのは『ワット ジェットリン』というチェンマイの寺院になる。可愛らしいお坊さん達が日々の厳しい修行の最後のお祈りでクタクタになっている時の光景。