小津安二郎展 【編集中】

近所なので何時でも行けると思いつつ、けれど昼間は暑く汗だくで行くのは気が引けてしまい、気付けば会期ギリギリとなっていて思い切り、何とか無事に小津安二郎展に辿り着いたわけなのだけれど、訪ねて良かったです。


「趣味?映画鑑賞です。」
「どのような映画を観るのですか?」
「小津の映画を少々・・・」

と答えれば通ぶれるし、カッコ良いから!!程度の見識で観てしまえば良い。観てしまえば極めて強く印象に残ってしまう。食わず嫌い、かつて私には寅さんもそうだった。小津監督の映画は原節子さんの出ている映画など何本かしか観ていないのだけれど、思い出したように何度も観てしまう。

どんな映画監督だったのかは実は、『パリ・テキサス』や『ベルリン天使の詩』で知られるヴィム・ヴェンダース監督が撮ったドキュメンタリー映画の『東京画』が面白く、知る事が出来る。小津映画を撮ったカメラマンへのインタヴューは迫真に迫る。這いつくばるような低い位置にカメラを構えたのを実演されるシーンは強く印象に残る。

一眼カメラで言えば、50mm相当なのだろうか?広角は使われず標準かやや望遠のレンズなのだろうか、画角は狭くて奥行きがある。そのレンズを低く構える。ミニスカートの女性を前にカメラを低く構えるのと同種ならそれ以上の、おそらくはそれとは全く別の臨場感が、ただの日常を極めて緊張感を保ち迫真にせまる映像となる。

長屋や続き間の空間を、適度に距離を置いて撮る。広角に頼ると近寄れるけれど対象はどれもが小さくなる。望遠で撮れば対象は大きく写るものの奥行きが危うい。画角に入る人が往来しては留まり語り、座ったり立ったり歩いたりするだけの日常が迫真に迫り見入ってしまう。脚本なのか役者なのかカメラなのか、不思議。

特別ではない空間なのにドラマに魅入る。日常の世界を特別にしてしまうかのような魔法がつかえたなら?と考えてしまう。

例えば、原節子さんのような日本人ばなれしたスタイルの女優がそこに居れば、それだけでカッコ良いのだけれども、目を離せなくなるようなドラマが展開するわけはない。何に魅せられているのだろう?と観察すればよいだろうに、観れば何時も引き込まれてしまう。

戦地から戻らぬ息子の妻の家を訪ねた際に、彼女は準備がないと、お酒とお銚子など一式をお隣さんに借りに行くシーンが新鮮な東京物語。子供の頃は確かに母親がお隣さんに醤油を借りに行くのは日常の事だったと思う。今は?コンビニへ行く。コンビニへ足を運ぶと物語は生じない。便利のみがあるのみだ。訪ねた笠智衆演じる父は、そのお酒を美味しいと頂く。それは確かに美味しいはずで、その心遣いやご近所とのお付き合いまでをも感じさせてしまう味わい、ただ美味しいだけでは済まされない御もてなし。


竣工写真を自分で撮る私は、余裕があれば50mmを試す。なかなか撮れないのだけれど、春の縄文探検で中谷研究室を訪ねた際は、当時の臨場感を撮ろうと思い立ち、50mm一本で挑んだ。・・・室内で画角が狭く遠すぎ、広い空間では近過ぎて画角がせまく、如何ともしがたいのに、時々迫真に迫る絵が撮れたりする。学ぶ事多しの機会だった。


この展示に新たな発見があったかと言えば、正直、ネットでも得られる程度の情報だったのだと思う。或いはネット上では、マニアックに掘り深めた見識も散見出来る。より詳細を求めるなら本が良い。ではあるけれど、実に有意義だったのは「モノ」が展示されている事に尽きる。

特に興味を覚えたのは、映画が封切られた頃の印刷物だった。

戦前は無声映画の頃から戦後のカラーに至るまで、映画はどう伝えられたのかが展示されていた。北海道は札幌の映画事情は思いの外に古い。今は既にない映画館が多数紹介されていた。


今は写真も、紙に印刷された「写真」では無くデータとして保管されている。当然ながら情報もネット上が多勢になる。紙媒体は極めて少ない。そのような利器の無かった頃は紙媒体は絶対的な存在だった。物理的な「モノ」としての紙面は重要な媒体であり、情報を確かに伝える手段でもあった。

昔の映画館は、映画館自身が制作する「ニュース」がチラシとして配られたらしい。雑誌などが統一した媒体となるのは割と後の事だ。映画館で販売されるパンフレットは更に後の事になる。

ニュースとして使われた紙は、所謂わら半紙?のようんで質の良くない紙が使われいた。それが、やがて3色刷?に進展する。そもそも写真を印刷できないかったのか映画はイラストや絵が描かれていたりする。何より興味を覚えたのは、用紙サイズだった。実にマチマチで様々なサイズの紙媒体のニュースが作られていた様だ。

今ならA4サイズやB5サイズと言う具合に規格が揃う上にカラー印刷が当然なのだけれど、カラー印刷は3色が精々で紙面規格もない頃に、映画館がどう宣伝広告を製作したのか?眺めるのは極めて楽しい事だった。

札幌のそれは、何方かが大切に保管されていたらしく、その中から「小津」を選んで展示されていた。小津とその友人関係に厳選された展示ですら、バラエティーに富んでいて面白い。紙媒体のみを今展示すれば、どれもA4サイズで統一されてしまい見易いだろうけれど画一化され面白みを欠くだろう。それが現代ならネット上の展示で終えてしまうのだろうと思う。

フォントの種類が少ないのは活版だからだろうか。使える手段は極めて限られ狭い。更にはコストを掛けぬ為に紙面は小さい。そこに何を表現すべきか?様々に試された成果は挑戦に他ならず実に興味深い展示だった。


実体の空間を設計する私は、そこから逃れらる方法を知らない。そして、それが極めて興味深く楽しい。例えば名刺、私は変則サイズを使っている。違う事で目立ちたい!というのでなく、映画のスクリーン比に習い【16:9】としている。映画を撮ってみたいという欲求はあって、このブログに載せている横長の画像は基本的に【16:9】だ。静止して眺めると上下にも視野は広がるのだけれど、人の視線移動は水平が強い。重力に縛られ目は二つ、必然。そういう意識を持っていたいと思う。

工業規格は便利な反面、画一化してしまう。疑念なく設計すれば室内は石膏ボードの規格で造られる。どの住宅を訪ねても同じ大きさである理由だ。若干の無駄は承知、なんとかそこに相応しい空間を探す。勿論、無駄が多勢になる設計は慎む。コストが増すのは困るので。今は今でコストという制約をどう回避し空間を設計するか挑戦する。


小津を通じて知る昔の映画、映画館が伝える情報の多様性、そこで発見された価値は不変であり、案内される映画は今観ても楽しい。昔は良かった!という懐古趣味で片付けられないし、デジタルで撮影した画像を如何様にも加工できてしまう現代とは違い、限られた範囲で何をどう伝えるのか?フォーマットもない時代の挑戦は、フォーマットだらけで規格の中に閉じ込めれている現代でどう挑戦するのか?のヒントになるのだと思う。

おそらくは日本の映画のフォーマットを生み出しただろう映画監督の仕事を、それを実際に人々が触れた映画館が使った宣伝媒体を通して眺める貴重な経験でした。



久しぶりに訪ねる昼間の中島公園はカメラを携帯する。春に眺めた木々を、序に確かめに行く。


春に眺めたカツラは、葉は汚れ幾つかは脱落してはいるものの、カツラだった。下から間近に眺めるのは特別だ。この春は3Dモデルまで製作した、葉だ。


夕暮れ時、傾き低く差し入る陽射しは明暗を生み出し、薄い葉皮は光を透かして賑やかな木陰の中で輝く。


割と無事な一枚ではあるけれど、春の無垢さはない。ここまで耐えた強さが印象に残る。



数日前の朝焼け、久しぶりに屋上に登り撮る。陽は、まだ南から昇る季節は、まだ陽は南側から昇る。未だ、夏だ。